建設現場における行動ベースの安全:ケーススタディ(Rafiq M. Choudhry:2014)

アンゼンアンシン

英文の論文の概要をときどきブログ記事として備忘録的にまとめます。

建設現場の安全を再定義する:行動ベースの安全(BBS)の力

建設現場は、常に事故のリスクと隣り合わせです。しかし、その事故の多くが、実は人間の行動に起因していることをご存知でしょうか。職場で発生する事故やインシデントの80%から98%が、不安全な行動に起因するとされています。この事実は、私たちが安全管理を考える上で、非常に重要な示唆を与えてくれます。

この記事では、「行動ベースの安全(Behavior-Based Safety, BBS)」というアプローチが、いかに建設現場の安全パフォーマンスを劇的に向上させることができるのか、その本質と具体的な方法について、皆さんと共に深く掘り下げていきたいと思います。

行動ベースの安全(BBS)とは何か?

BBSは、人間の行動に関する心理学的研究を、安全問題に体系的に適用するアプローチです。従来の安全管理が、**観察できない「態度」に焦点を当てがちだったのに対し、BBSは観察可能な「安全行動」**に重点を置きます。この違いこそが、BBSの核心であり、その効果を決定づける要因となります。

多くの企業は、「態度を変化させることで行動が変化する」と考えがちです。しかし、実際にはその逆で、人々の安全習慣を変えることで、安全に対する態度も変化していくとされています。BBSは、この行動科学に基づき、建設現場の安全をボトムアップで改善することを目指す、極めて実践的な手法なのです。

なぜ建設現場でBBSが必要なのか?

建設業界では、これまでも法律の整備、技術的な設計の改善、安全意識向上キャンペーン、そして安全トレーニングなど、様々な安全対策が試みられてきました。しかし、これらのアプローチが、必ずしも継続的な成功を収めてきたとは言えないのが現状ではないでしょうか。

例えば、法律だけでは取り締まりに必要なリソースが不足することがあります。また、安全トレーニングはそれ自体が良いものであっても、必ずしも事故の減少に直結するとは限りません。さらに、態度を変えることに重点を置く多くのアプローチは、「態度が行動を引き起こす」という、必ずしも正確ではない前提に基づいていると指摘されています。

不安全な行動の引き金となる要因は多岐にわたります。作業の完了を急ぐこと、過剰な生産目標、優先順位の競合、厳しい工期、トレーニング不足、設備や資材の不足などが挙げられます。BBSは、これらの根本的な行動要因に焦点を当てることで、より持続的な安全改善を可能にします。罰則は効果を出すために常に即座に行われる必要があるため非現実的であり、報奨制度は高価であったり、事故報告を妨げたりする可能性があります。一方で、望ましい行動を肯定的に認めることで奨励する方が、より成功する可能性が高いとされています。

BBSはどのように機能するのか:成功プログラムの主要要素

香港の建設現場で行われたケーススタディでは、以下の要素を組み合わせたBBSアプローチが実施され、目覚ましい成果を上げています。これは、BBSが単なる理論ではなく、具体的な「しくみ」として機能することを示唆しています。

1.  目標設定 (Goal-Setting):

  • 作業員の参加を得て、現実的かつ達成可能な安全パフォーマンス目標を設定します。
  • 具体的で、かつ困難な目標は、パフォーマンスの向上に繋がることが研究で示されています。
  • 参加型の目標設定は、改善プロセスへのコミットメントとオーナーシップを育み、作業員の同意を得るために、提案された目標レベルの平均値が用いられました。

2.  フィードバック (Feedback):

  • 安全パフォーマンスのレベルと目標は、サイトの食堂や掲示板など、作業員が簡単に見える場所にフィードバックチャートとして毎週グラフィカルに提示されます。
  • このフィードバックは、集合的な努力の成功を可視化し、作業員間の会話を促し、安全意識を高め、態度を肯定的に変化させます。

3.  行動観察と測定 (Behavior Observation and Measurement):

  • 訓練を受けた監督者(オブザーバー)が、個人保護具(PPE)、整理整頓、高所へのアクセス、プラントおよび設備、足場といった主要な安全行動カテゴリーにおいて、週に2回観察を行います。
  • 「全か無か」ではなく、「割合評価尺度」を使用することで、安全パフォーマンスの変化をより敏感に測定できます(例:足場のトーボードが75%適切に固定されている場合、25%不安全と評価)。
  • オブザーバー間の信頼性(IOR)は94%以上と高く、測定の信頼性が確保されています。

4.  肯定的な強化と認知 (Positive Reinforcement and Recognition):

  • 安全な行動や重要な行動の改善が見られた場合、監督者は作業員に認知と賞賛を与えます。
  • 望ましい行動を奨励する上で、賞賛や認知という形での社会的報酬が最も強力な方法の一つであるとされています。

5.  継続的なコミュニケーションとトレーニング (Continuous Communication and Training):

  • オブザーバーは作業員と話し合い、トレーニング資料を配布し、フィードバックを提供します。
  • 目標設定セッション中に、作業員は行動チェックリストを通じて、安全に行動する方法を学びます。
  • 週次安全会議や他の現場会議で、現在の週間スコアや目標達成方法が議論されます。

実際の効果:香港での成功事例

このBBSアプローチが導入された香港の建設プロジェクト「A」では、驚くべき結果が示されました。

  •   介入期間中、安全パフォーマンススコアはすべてのカテゴリーで継続的に向上しました。
  •   プロジェクト「A」の総合安全パフォーマンススコアは、導入3週目の86%から、9週目には92.9%へと大幅に改善しました。
  •   これは、不安全な行動が大幅に減少し、安全な行動が著しく増加したことを示しています。
  •   インタビューでは、安全行動の改善に対する意識が高まったことが明らかになりました。
  •   このアプローチは香港の中国文化圏で実施され、欧米文化圏以外でのBBSの一般化可能性に対する洞察を提供しています。実際に、BBS管理システムはあらゆる国の文化に適用可能であり、現場の最前線で働く作業員の安全向上に優れた技術であることが示唆されています。特に、香港の多層下請けシステムのような環境でも、下請け業者の安全向上に有効であることが示唆されています。

課題と今後の展望

今回の研究は特定のメガプロジェクトに限定されていましたが、BBSの導入は、安全コミュニケーションの増加、安全意識の向上、そして管理システムへの実質的な影響をもたらすことが示されました。

今後の課題としては、測定された数値を理解しない作業員への最適なフィードバック形式の検討や、中国本土など他の文化圏での同様の研究実施が挙げられます。また、下請け業者が自らBBSを導入し、その記録を主要請負業者に提出する仕組みを構築することも、さらなる安全改善に繋がるでしょう。

結論

行動ベースの安全(BBS)は、建設現場の安全性を大幅に向上させるための強力で実践的なツールです。目標設定とフィードバックというシンプルな原則に基づきながらも、人間の行動に焦点を当てることで、事故率の削減と安全文化の醸成に貢献します。

もしあなたの建設現場の安全パフォーマンスを向上させたいと考えているなら、このボトムアップのアプローチを検討する価値は十分にあります。安全な行動を奨励し、継続的な改善のサイクルを生み出すBBSは、より安全な職場環境を実現するための鍵となるでしょう。