第1部 第3章 技術その2──安全行動を”習慣化”するしくみ その2

アンゼンアンシン

習慣化のメカニズム:「きっかけ・実行・報酬」

では、どうすれば安全行動を「習慣」にできるのでしょうか。そのカギは、行動科学の世界で広く知られている「習慣のループ」というモデルにあります。これは、ジャーナリストのチャールズ・デュヒッグがその著書『習慣の力』で紹介し、一躍有名になりました。

どんな習慣も、次の3つの要素で構成されていると彼は言います。

  1. きっかけ(Cue):
    行動のスイッチを入れる特定の合図。トリガーとも呼ばれます。
  2. 実行(Routine):
    実際に行う行動そのもの。習慣化したい(あるいは、やめたい)行動です。
  3. 報酬(Reward):
    その行動の後に得られる快感や満足感。脳が「このループを記憶する価値がある」と判断するためのご褒美です。

この3つが繰り返されることで、私たちの脳は「きっかけ」と「報酬」を強く結びつけ、「きっかけ」に遭遇すると、半ば自動的に「実行」を渇望するようになります。これが、習慣が形成されるメカニズムです。

例えば、「ラーメンを食べた後に一服する」という喫煙者の習慣をこのループに当てはめてみましょう。

  • きっかけ: ラーメンを食べ終わる
  • 実行: タバコに火をつけて吸う
  • 報酬: ラーメンの後味と相まって普段よりおいしく感じるタバコの味、ニコチンによる満足感

このループが繰り返されることで、「ラーメンを食べ終わる」というきっかけだけで、猛烈にタバコが吸いたくなります。

この強力なメカニズムを安全行動の定着に応用しましょう。現場で定着させたい安全行動を「実行」に設定し、その前後に意図的に「きっかけ」と「報酬」を設計するのです。

安全行動を習慣化するループの設計例

実行(Routine):高所作業前の安全帯フックの確認

  • きっかけ(Cue)の設計:

「いつでも気をつけろ」では、きっかけになりません。「いつ、どこで、何をしたら」という具体的なレベルまで明確にすることが重要です。

時間で設定する場合:

  • 「午後の作業開始時」
  • 「足場に上がる直前」

場所で設定する場合:

  • 「安全帯を装着する特定の場所」
  • 「足場への昇降口」

行動で設定する場合:

  • 「ハーネスに袖を通したとき」
  • 「仲間が足場に上がり始めたとき」

例えば、「高さ2m以上の足場に上がる直前には、必ずフックを指差呼称する」とルール化すれば、「足場に上がる」という行動が、指差呼称の「きっかけ」として機能し始めます。

  • 報酬(Reward)の設計:

ここが、多くの現場がつまずく最大のポイントです。なぜなら、安全行動の本来の報酬は「事故が起きなかった」という、目に見えず、実感しにくいものだからです。災害は起きなくて当たり前。だから、脳はそれをなかなか「報酬」として認識してくれません。

そこで、すぐに得られる「小さな報酬」を意図的に作り出す必要があります。

自己肯定感という報酬

  • ポケットサイズのチェックリストを用意し、確認したら自分でチェックを入れる。「☑」という小さな達成感が報酬になります。
  • 「フックよし!」。自分の声で確認することで、「今日もちゃんとやったぞ」という自己肯定感が得られます。

社会的承認という報酬

  • 二人一組で相互確認し、「〇〇さん、OKです!」「ありがとう!」と声をかけ合います。仲間からの承認は、非常に強力な報酬です。
  • 職長が、安全行動を実践している作業員を見つけたら、その場で「いいね!」「ありがとう、助かるよ」と具体的に声をかけます。

感覚的な報酬

  • きれいに整理整頓された工具置き場。それを使う心地よさが、整理整頓という行動の報酬になります。
  • 正しく装着した保護具のフィット感。「よし、これで守られている」という安心感も、立派な報酬です。そこで、すぐに得られる「小さな報酬」を意図的に作り出す必要があります。

不安全行動のループを理解する

逆に、不安全行動がなぜ習慣化してしまうのかも、このループで説明できます。

  • きっかけ: 「急いでいる」「ちょっと面倒くさい」という感情
  • 実行: あご紐を締めない、フックをかけない
  • 報酬: 「楽ができた」「時間を短縮できた」という即効的なメリット

この「不安全行動のループ」がいかに強力かを理解し、それを上回る「安全行動のループ」を現場全体で設計し、根気よく回し続けること。それこそが、安全を『しくみ』で根付かせるための核となる考え方なのです。