【労働災害ゼロを目指して】──定年後にあえて“苦労の道”を選ぶ理由

アンゼンアンシン

【労働災害ゼロを目指して】──定年後にあえて“苦労の道”を選ぶ理由

私は、定年をまもなく迎えます。現在、職場からは「定年退職か」「定年延長か」「短時間の再雇用か」といった選択肢を提示されているところです。ありがたいことに、65歳までは定年延長や再任用という形で働き続けることもでき、収入こそ減りますが責任も軽くなり、生活に困ることはありません。これまでと同じ仕事を穏やかに続けていく道も、確かに用意されています。

しかし、私の心は、別の方向へと動き始めています。

原点は「見てしまった」あの光景

私が労働災害というテーマに強い関心を持つようになったきっかけは、子どもの頃に体験した出来事でした。

当時、よく銭湯で顔を合わせていた塗装業の知り合いがいました。明るくて親しみやすい人で、屋根の上から地上の仲間と楽しそうに話していた、あのときまでは――。ふとした瞬間に足を滑らせ、二階建てアパートの屋根から落下してしまったのです。その瞬間を私は目の当たりにしてしまいました。

命は助かったものの、重い後遺症が残りました。両親からは「一家の生活が一変してしまった」と聞かされ、子どもながらに、大黒柱を失うということの重さ、そして“事故の恐ろしさ”を強く感じたことを覚えています。

自らの“あと1cm”の経験

私自身も、若い頃に自宅の階段から転落し、コンクリート床に頭から落ちるという大きな事故に遭ったことがあります。幸いにも右手の骨折だけで済みましたが、あと1cmで柱に手が届いていたのに届かず墜落したあの瞬間の無力感は、今でも忘れられません。

「事故は、自分が思ってもいないときに、思ってもいない形で起こる」という現実。そして、「命があること自体が奇跡だ」ということを、身をもって知ることになりました。

「知っているだけ」で終わっていいのか

私はこれまで、長年にわたって労働安全衛生に関する業務に携わってきました。多数の死亡労働災害を目にし、それに対応してきた経験があります。だからこそ、災害の芽を見つける目や、防止策を組み立てる知見は持っているつもりです。

それにもかかわらず、自分の生活の安定だけを考え、このまま知見を活かすことなく終わってよいのか――。そうした思いが、心の奥底から湧き上がってきました。

苦労してでも、意味ある仕事をしたい

もちろん、新たな道は平坦ではないでしょう。できることなら、企業には労働災害が起きる前に対策に取り組んでほしい。しかし、検索エンジンのデータを見ると、「労働災害防止」で検索する人は1日100件にも届きません。

これは、現在大きな事故が起きていない企業にとっては、“労災防止”が切実な課題ではない、という現実を表しているのかもしれません。

けれども、人はミスをします。機械はいつか壊れます。何もしなければ、いつかは大事故につながってしまう。私は、これまでに対応してきた三桁を超える死亡災害の記憶を、無駄にしたくありません。

「あなたの現場にもあるかもしれない」リスクに気づく支援を

安全は、働く本人の注意だけでは守れません。職場の環境、企業文化、日々のコミュニケーション、そして経営者の理解があってこそ、安全は確保されます。

私がこれから取り組もうとしているのは、企業に安全衛生の専門部署がある場合にはその活動を支援し、ない場合には外部の専門家として支援を行うことです。目的はただ一つ――「現場で働く一人ひとりが、自分の安全に対する意識を変えること」です。

これは、現場の命を守るだけでなく、すべての人が無事に家に帰り、家族と笑顔で暮らしていける社会をつくることにつながると信じています。