はじめに
前回の記事で、労働災害が発生した際に企業が直接的に負担する費用、いわゆる「直接的損失」について詳しく試算しました。北海道の平均的な中小建設業で1件の休業災害が発生した場合、約200万円もの直接コストがかかることをお伝えしましたね。
しかし、労災の本当の恐ろしさは、目に見える直接コストだけではありません。むしろ、その何倍もの「間接的損失」が、会社の経営基盤をじわじわと、そして確実に蝕んでいくのです。
今回は、前回の試算と同じく北海道の平均的な建設業を例にとり、この「見えない巨大なコスト」である間接的損失について、その内訳と金額を詳細に試算してみましょう。
「間接的損失」とは何か?
間接的損失とは、労災事故が発生した結果、直接的な支出ではないものの、企業の生産性低下、信用失墜、従業員の士気低下など、広範囲にわたって企業活動に悪影響を及ぼし、最終的に企業の収益を減少させる要因となるコストのことです。数値化が難しい側面もありますが、その影響は計り知れません。
想定される企業と事故のケース(再掲)
試算にあたり、以下のケースを想定します。前回と同じ前提です。
- 企業規模: 従業員数30名程度の北海道の中小建設業者
- 年間売上高: 3億円
- 年間人件費: 1億5千万円(平均賃金:年500万円)
- 想定事故: 高所からの墜落・転落による骨折(全治3ヶ月程度)
- 休業を伴う災害で、比較的発生頻度も高いケースを想定しています。
労災発生で会社が「間接的に」失うコストの内訳
では、実際に事故が発生した場合、会社がどのような「見えないコスト」を負担することになるのでしょうか。項目ごとに試算していきます。
1. 生産性低下による損失:合計約42.5万円
- 被災者本人の生産性低下:約8.2万円
- 復帰後も、完全に以前のパフォーマンスを取り戻すには時間がかかります。後遺症が残れば、業務内容の変更を余儀なくされることも。
- 試算:復帰後1ヶ月間、生産性が20%低下すると仮定し、約82,200円。
- 周囲の従業員の生産性低下:約34.3万円
- 事故対応、被災者の業務引き継ぎ、精神的な動揺…事故は周囲の従業員の集中力やモチベーションも確実に低下させます。
- 試算:事故発生後1週間、5名の従業員の生産性が10%低下すると仮定し、約342,500円。
2. 管理監督者の対応コスト:約20万円
事故が起きれば、経営層や管理職は通常の業務を中断し、事故対応に追われます。被災者や家族への対応、労働基準監督署や警察への報告、再発防止策の検討・実施など、費やす時間は膨大です。
- 試算:経営者・管理職が合計で延べ10日間、事故対応に費やした場合、約200,000円。
3. 企業のイメージダウン・信用失墜:約300万円
これが間接的損失の中でも、最も大きく、深刻な影響を及ぼす項目かもしれません。労働災害は「あの会社は安全管理が甘い」「従業員を大切にしない」といった負のイメージを社会に与え、企業の信用を著しく損ないます。
建設業においては、元請けからの評価低下、新たな入札時の不利な状況、顧客離れなど、将来的な受注機会の損失に直結します。
- 試算:翌年度の新規受注が売上のわずか1%減少したと仮定すると、3,000,000円。これは数年間にわたって影響が出る可能性があり、さらに拡大する恐れもあります。
4. 士気の低下・離職率の増加:約50万円
痛ましい事故は、従業員の心に深い不安や不信感を生み、職場の雰囲気を悪化させます。「この会社で働き続けて大丈夫だろうか?」という思いは、優秀な人材の流出にもつながりかねません。
- 試算:1名の従業員が退職し、その補充のための採用・教育コストとして、約500,000円。
5. 訴訟費用・賠償金:約100万円
被災者やその遺族からの損害賠償請求、あるいは元請けからの責任追及などにより、訴訟に発展するリスクもゼロではありません。
- 試算:弁護士費用や、訴訟に至らないまでも示談金の一部として、約1,000,000円を計上。
6. 保険料の増加:約30万円
労災保険料は、過去の労災事故実績に応じて変動する「メリット制」が導入されています。事故が起きれば保険料率が上昇し、翌年度以降の保険料負担が重くなります。
- 試算:労災保険料が今後3年間で年間10万円ずつ増加すると仮定し、約300,000円。
間接的損失の合計額は…約540万円!
上記の項目を合計すると、以下のようになります。
- 生産性低下による損失(被災者):82,200円
- 生産性低下による損失(周囲):342,500円
- 管理監督者の対応コスト:200,000円
- 企業のイメージダウン・信用失墜:3,000,000円
- 士気の低下・離職率の増加:500,000円
- 訴訟費用・賠償金:1,000,000円
- 保険料の増加:300,000円
- 合計:5,424,700円
今回の試算では、北海道の平均的な建設業の中小企業が、たった1件の休業を伴う労働災害で、約540万円もの「間接的損失」を被ることが予想されます。
結論:労災は「億」を超える損失に化けるリスクをはらむ
前回の直接的損失(約200万円)と今回の間接的損失(約540万円)を合わせると、1件の労働災害で合計約740万円もの損失が発生する可能性があります。
特に「企業のイメージダウン・信用失墜」や「訴訟費用・賠償金」は、事故の状況によっては試算額をはるかに超える金額となり、最悪の場合、企業の存続そのものを揺るがす事態に発展しかねません。
間接的損失は、目には見えにくく、すぐに気づきにくいものですが、長期的に企業の収益性や競争力を確実に蝕んでいきます。
「安全」は最大の利益を生む投資
この試算が示すのは、労働災害の予防と安全衛生活動への継続的な投資が、いかに企業の財務状況と持続可能性にとって不可欠であるかという事実です。
安全対策は単なるコストではありません。それは、従業員の命と健康を守り、会社の信用とブランド力を高め、結果として数百万、数千万円、場合によっては億を超える損失を防ぐ「未来への最良の投資」なのです。
あなたの会社は、本当に「安全」に投資できていますか?
労働災害の潜在的なリスクを直視し、今一度、貴社の安全衛生体制を見直すきっかけとなれば幸いです。